2002-10

環境と人間



ココシリの自然環境を守る─
あるボランティア・パトロール隊員の日記


文と写真/王挺

    編集者の言葉: ココシリはモンゴル語では「美しい少女」という意味である。青海・チベット高原北西部のタングラ山脈や崑崙山脈にはさまれた8万3000平方キロメートルにおよぶこの広大な地域には、長江の重要な水源地の一つがあり、世界でも三本指に入る中国屈指の無人地帯である。自然条件の厳しい広大な無人地帯は人間には過酷な土地だが、野生動物の楽園である。ここには野生ヤク、チルー(チベットカモシカ)、野生ロバ、シロクチシカ、ヒグマを始め、230種類におよぶ野生動物が生息しており、国の重点保護動物にしてされた第一類や第二類の希少野生動物だけでも20種類に達している。
 しかし、貪欲な人類によってココシリの自然環境は破壊され続けてきた。特に良質な毛並みを持つチルーは密猟者による殺戮を受けているのだ。これを憂慮した政府の関係部門は、ココシリ自然環境保護に対する宣伝を強化するために、2002年5月から内陸地から監視ボランティアを組織し、次々とココシリに送り出している。ここで発表したこの記事は最初にココシリ自然保護区に入ったボランティア・グループのメンバー、青島科学技術大学の王挺教授が書いた日記である。添えられた写真も王挺教授が危険を圧して撮影したものである。

美しい月牙湖
写真のシャッターに驚いた
キャンプのマスコット、チルーの

吉報と出発の準備
    ココシリに生息するチルー保護のボランティアに選ばれたという吉報を聞き、私は興奮を抑えながら慌しく準備に取り掛かった。このニュースを知った同僚や教え子、友人たちからは次々とお祝いの電話が入り、激励や健康管理に対するアドバイスを受けた。中には資金や物資の援助を約束してくれた人もいる。80歳の誕生日を迎えたばかりの父からも「わしことは心配要らないから、安心して行って来い!」と励まされ、妻も何の躊躇もなく貯金通帳を渡してくれた。これらのすべては一般の環境保護事業に対する理解や支持を物語っている。メーデーの休日の前日まで学校での講義がスケジュールに入っているため、この間、私は何とか暇を見て出発の準備をしなければならない。
    ボランティア・グループの中で最年長の私は高原でのキャンプの経験も豊富で、先頭に立って模範を示さなければならない。何より、今回は全国に向けて初めて公募したココシリ自然保護区のボランティアである。その意義と使命の重大さを思うと嫌でも気合が入った。
配置地点の発表
    5月11日午後6時、ボランティア一人一人の配置分担を発表した。不凍泉動物保護ステーションに行く者、五道梁動物保護ステーションに行く者、トト川保護ステーションに行く者、ツネウ湖保護ステーションに行く者、誰も初めての経験だ。これらの地図が頼りの生活が始まる。私はもう一人のボランティアと一緒に主力パトロール隊に配属された。主力パトロール隊は、一定の期間を置いて車2台でココシリ無人地帯の奥地に入り、巡回パトロールをする。このパトロールは一回りするだけで15日から20日間かかり、その道程は2000kmにも及ぶと説明された。野外で食事をし、車の中で寝る暮らしは、野戦部隊と言っても過言ではない。
    主力パトロール隊の王周太隊長が、ここでの経験を話してくれた。それはある日のパトロールでのこと、車が川の泥に落ち込んで身動きが取れなくなり、仕方なく隊員たちは車を放棄して歩いてブカタ峰の麓の温泉で夜を過した。温泉地区の地面は熱く、水蒸気が湧き出ている。その夜は大雪が降る最悪の天候であったので、隊員たちは背中を地面に着けて暖めてから、今度は腹ばいになって暖を取った。まるで鉄板で焼かれる「餅」のようだったと、彼は笑う。翌日、起床するや否や隊員たちはみな体に氷雪の鎧を着けたようになった。5月と言うのに身を切る寒さである。われわれは70km歩いてやっと目的のキャンプに辿り付いた。この時、隊員たちは皆雪目にかかってしまった。むくんだ目が痛くてとても陽光の下で目を開けていられない。屈強な若者でさえ涙を流す有様だ。この時、本当に家が恋しくなった。
    明日、私は不凍泉保護ステーションに行ってパトロールをする予定だが、身に危険が降りかからないことを祈るしかない。

    

焚き火を囲んで話し込む隊員たち
写真のシャッターに驚いた

試練――ココシリの厳しい自然環境
    5月12日、ボランティア一行の11人は海抜4600mの不凍泉保護ステーションに到着し、高原気候に適応するための体の調整訓練を行っていた。午前中はみなまだ元気だったが、夕方には上海から来た喩燕倩隊員の高山反応が悪化し、訓練が続けられなくなった。結局、彼女は悔し涙を流しながら不凍泉保護ステーションを離れて行った。
    13日、湖南省から来た成学軍隊員も体の調子が悪くなり、車で高原から病院に運ばれた。見送る隊員たちも志半ばで去らねばならない彼らの口惜しさを思って、涙を流した。
    仲間が去ったからと言って、感傷にばかり浸っておられない。その後、私たちはチュマル川保護ステーションと五道梁保護ステーションを見学した。チュマル川ステーションの施設は思った以上に粗末で簡単なものだったが、五道梁保護ステーションでは私たちボランティアが少しでも快適に過ごせるようにと、壁には洋服掛けの釘が打ちつけられ、壁紙代わりの白い紙まで張られてあった。最悪の生活環境の中で触れた人の温かさに、私たちの目頭は熱くなった。しかし、私たち新入りボランティアはこの夜はステーションに泊まらず、不凍泉ステーションに帰った。
    不凍泉で私たちは、ツネウ湖ステーションの所長が北京からの楊震隊員と山東省からの賀紅軍隊員の到着を待っているという連絡を受けた。そこで、楊、賀の2人の隊員は慌てて荷作りをし、ツネウ湖ステーションに向かった。
    14日、心拍数120を圧して、二日間頑張った杭州の程詠隊員の高山反応が悪化して、彼もとうとう病院に送られることになった。
    3人のボランティアが相次いでリタイアしたため、スケジュールを組みなおさなければならなくなり、不凍泉保護ステーションの主力パトロール隊員に決まっていた私と四川省の路峰隊員は急遽、ボランティアのいないトト川保護ステーションの主力パトロールの任務に就くことになった。
トト川保護ステーションでの体験
    青海・チベット自動車道路に沿って車でパトロールし、環境保護法令に違反して砂や土を採取している者、或いは違法に採取されている箇所がないかを調べることが私たちの任務である。トト川ステーションに来て数日の間に、私たちは違法行為を4件摘発し、その作業をやめさせた。
    最も意義深い事件は、環境保護条例をよく理解しないまま工事許可の関係手続きをせずに土砂採取の作業をしていた武装警察交通隊のある部隊を、私たちが制止した一件である。この部隊の指揮官はこのことを非常に重視して、当日の午後に中隊長以上の幹部を参加させ学習会を開くことになった。この座談会に保護ステーションのメンバー全員とボランティアも出席し、保護区の管理条例を読み聞かせ、具体的な規定事項を説明するよう依頼された。私もボランティアを代表していろいろと意見を述べることになった。その夜、私たちは3つの中隊に赴き、詳細に法令について解説し、部隊の幹部や兵士たちに好評を博した。学習会のおかげで、部隊の指揮官も「工事が少々遅れても許可が下りなければ絶対に作業させない。我々も積極的に環境保護に参加しなければならない」とわれわれの仕事に理解を示してくれた。ボランティアの環境保護宣伝の任務を達成することができ、私はとても誇らしい気持ちになった。
    また、青海・チベット鉄道の建設に当たっていた工事隊が、工事許可を申請したものの、まだ手続き中であるにも拘らず、工事を進めるために勝手に広い範囲で砂を掘っている現場に出くわしたこともある。ブルドーザー1台、パワーショベル4台、ダンプカー30台など、重機を総動員しての工事と知り、私たちは慌てて現場に駆けつけ、断固とその工事を中止させた。最後に工事隊の指揮官は、「関係の士官が環境保護に関する宣伝を徹底していなかったため、こんな過ちを犯してしまった。これから環境保護教育を強化し、青海・チベット鉄道建設のために環境を破壊するようなことはさせない。必ずこの鉄道を完成度の面でも、環境保護の面でも世界に誇れる鉄道に建設する」と決意を表明してくれた。

    

信原

ステーションのマスコット
    トト川保護ステーションには、パトロールの途中で隊員が瀕死の状態から救出した「愛羚」、「信原」という2頭のカモシカの幼子を保護されていた。発見当時、生後数日だった小鹿に隊員たちが口移しで牛乳を飲ませて、10カ月にまで育てた上げたマスコットである。「愛羚」と「信原」は、毎朝7時に保護ステーションの庭で隊員たち与える餌を食べてから、山に行って草を食べ、日が暮れるとこの無人地で帯唯一の人家であるステーションに戻ってくる。
    最近、この2頭の兄弟に新しい同居人が加わった。それはチベット族の隊員・ザシさんが橋の下で保護した翼の折れたカラスである。内陸地ではカラスは不吉な鳥として嫌われているが、ここでは他の動物と同じように隊員たちから行き届いた世話を受けている。皆はこのカラスに「志願」という名を付けてやった。
  主力パトロール隊員
    トト川ステーションで5日間鉄道建設の関係者に環境保護の宣伝活動をしてから、私は路峰隊員と巡回コースのキャンプの一つグルムに戻り、2日間休んでから主力パトロール隊員に随行してココシリ奥地へのパトロールに出発した。
    パトロール・エリアはどこも広大である。私たちは約2週間(5月25日から6月10日まで)の密猟者取締パトロールの計画を立てた。無人地帯でのパトロールは想像を絶するハードワークである。パトロール・エリアの平均海抜は、4800m以上、高原地帯の気候は寒くしかも酸素が希薄である。夜間の気温はマイナス十数度、強風に加え大雪も降り、我々の簡易なテントはその重みで変形してしまい、テント内の気温も零度以下に下がるようになってしまった。パトロールの間はテントに泊まって野外で食事をする生活だが、一日一食、それもインスタントラーメンだけという日もかなりあった。こんな苦しい思いをしても、隊員たちは愚痴一つ言わない。
    ココシリの奥地をパトロールする隊員たちは、単に決められたコースをパトロールするだけではない。厳しいい自然環境に中でできるだけ長くパトロールを続けることが肝心なのだ。パトロール期間が長ければ長いほど密猟者には脅威になるからだ。実際、主力パトロール隊自体が移動動物保護ステーションなのである。
    30日の夜、強風が吹き大雪が降った。気温はマイナス10度まで下がる。
    隊員のザパさんは体力の限界らしく、出発する前、皆に隠れてこっそりと点滴を荷物に紛れ込ませていた。パトロール二日目、体の具合が悪くなったザパさんは車の中で1人で点滴をしようとしていたが、ザシさんが慌てて駆け寄り、それを手伝った。高原気候の人体に対する影響か、針を血管に入れても液が落ちないらしい。再度、別の静脈を捜して針を入れたが、やはり点滴の速度は遅く、疲れきったザバさんは点滴中に眠ってしまい、ザシさんがその側について看護をしていた。
密猟者 発見!
    明けて31日も吹雪で、雪が40pも積もった。明日の夜も雪ならば山道も封じられ、ステーションに帰れなくなるだろう。
    結局、翌日の6月1日の午後に撤退が決まり、下山をしていると、思いがけず密猟者の車に遭遇した。
    私たちの車は海抜4500m高原の河谷をガタガタと揺れながら前進していたが、このとき、周囲を注意深く見回していた隊長が突然「左の前方に車がある!」と叫んだ。隊長が指差した方向に目をやると、吹雪の中を車が蜃気楼のように数十m離れた前方を走っているのが見えた。車を確認するや、私の後ろに座っていた成林副隊長がカチャカチャと弾丸を銃に込めはじめた。すると、「暴発させないでくださいよ」と運転手のザシさんが隊長に言い、その言葉に私も思わず首を縮めた。やがて、運転手のザシさんはスピードを出して前の車に追いついた。私たちは車から飛び出して密猟者一行の車を囲んだ。隊長と副隊長の銃も既に密猟者たちに向けられている。密猟者たちはこのような悪天候で、パトロール隊に遭遇するとは夢にも思わなかったろう。本当に神兵神将が天上界から光臨したような奇襲である。これには密猟者たちも観念し、おとなしく車を降りて私たちの調べを受けた。
    車をチェックしてみると、密猟者の乗っていた2台の車のいずれからも銃が発見された。証拠をつかんだ私たちは密猟者に案内させ、彼らが慌てて川に投げ出した銃を拾わせた。密猟者は全部4人、改造した半自動小銃を一丁、手製の双筒猟銃を一丁、破壊力の大きな散弾、大量の火薬や弾丸も所持している。もし彼らを摘発できていなかったら、数百頭から数千等の妊娠した雌のチルーが射殺されていたかもしれない。一段落してから、彼らがこちらに向け発砲する危険もあったことに気づき、私は身震いした。死と隣り合わせの任務である。
    私たち主力パトロール隊の隊員は全部で7名である。結局、隊員3人が交替で彼らの2台の車を運転し、密猟者の4人を2人ずつパトロール隊の車に分乗させて護送することにした。同乗するパトロール隊員は1台に2人である。私たちは1人が運転し、もう1人は銃を持って密猟者を監視しながら、夜を徹してグルムの管理局に向かった。密猟者たちには手錠がかけられているが、何千頭というチルーを殺してきた殺戮者だ。何が起こるか分からない。私が乗った車は最後尾とポジションに恵まれ、前の車が通って固められた雪道を進むことができた。運転は隊長に任せ、私は銃を構えながら後部座席に座っている2人の密猟者を見張る。緊張したドライブのまるまる30時間、私は目を見開いたまま一睡もできなかった。