「1年の間では目立たぬが、3年後には劇的に変わっている」。これはケ小平氏の上海に寄せた切なる期待であった。上海の発展は、その後ろに控える長江デルタと長江流域経済の急速発展を促す機関車となった。20年間の改革・開放を経て、上海は一体どのように変わったのか?記者はヘリコプターに乗って空から上海の変化を見届けた。
高さ114mの展覧センターの塔も、林立する高層建築物の中に隠れて見えなくなった!
ヘリコプターが上昇すると同時に、黄浦江を挟んだ平野に広がる高層ビルの森が目に入った。その数の多さ、密集の度合い、目が眩むほどである。
上海の下町・徐家匯。十数年前までにここにある有名な建築物といえば、上海一を誇るカトリック教会、中国人が自ら設立した最初の高等学府─上海交通大学、そして中国内外に聞こえた上海映画製作所くらいのものであった。それが、現在では20、30階建て高層の商業ビル、オフィスビル、ホテルなどの摩天楼が林立し、その間を高速道路や高架鉄道が走っている。毎日50万〜80万人もの人が出入りする、敷地3.3平方キロメートルの大商業地区である。
次に中国で最初に制定された14ヶ所の国家開発区の一つである虹橋開発区に行ってみた。わずか0.65平方キロメートルしかないこの「弾丸の地」には、塔の形、矩形、半環状、扇形、階段形など様々な形をした25の超高層ビルがひしめいている。20世紀の80年代当初、ここは一面農地だったが、現在は1u当たりの外資導入額が2000ドルにも達する上海の展示、観光、デスク・ワーク、内外貿易の中心地である。
上海市の繁華街・南京路、淮海路、延安路も見違えるほど変わった。商店街からは以前の平屋や低い建物が姿を消し、屋上に大きな衛星アンテナを装備した高層ビルが並んでいる。まるで深い峡谷のようだ。蘇州河と黄浦江とが合流地点に立つ上海大廈の屋上には「発展は絶対的道理である」というケ小平氏の名言が書かれた巨大なボードが取り付けられていた。その言葉を実証するように、周囲のビルの屋上には様々な広告が掲げられている。
西から東へ、さらに南から北へとヘリコプターは上海の上空を飛び回る。地上に林立する高層ビルは、あたかも腕を上げて私たちに手を振っているようである。その一つ一つが、上海の驚異的な発展の証なのだ。
60数年前、南京路に当時としては上海で一番高いビル、83.6mの国際飯店がお目見えした。その後1983年に至って、上海一高いビルの栄誉は91mの上海ホテルに奪われた。国際飯店が上海の空に君臨していた半世紀、このビルの屋上から見る上海は、赤い屋根の古い洋館やひしめくように立ち並ぶ背の低い家屋、大小の工場でうめ尽くされていたが、以前の老朽化した家屋は2500棟の10階建て以上の高層住宅群に席を譲っている。驚いたのは、1950年代に建設された高さ114mの上海展覧センターの塔さえ、高層ビル群の中に隠れていて見えなくなっていることだ。これも、高さ468mの東方明珠テレビ塔や88階建ての金茂大廈にランドマークの地位を譲ったのだろう。上海の上空のどこからでも、この二つの建物を見失うことはない。現在、世界第3位、中国一の高さを誇る金茂大廈は、国際飯店を5倍してもまだ2.5m高く、空中撮影のヘリコプターでさえその周囲を羽虫のように飛び回るだけだ。
上海の都市は背が伸びただけでなく、配置も大きく変わり、中央商務区、中心商業区、中心市内区、外側の新興工業区を主とする新しい上海都市の輪郭が現われつつある。上海市には老朽化した家屋が面積にして365万uあるが、住宅改造によってその3分の2がすでに取り壊され、100数ヶ所の工場も市街区から郊外に移転した。黄浦江の両岸では新しい住宅が床面積で約1億2000万u完成し、40数万世帯計150万の住民が新居に移っている。現在上海市の市街区住民1人当たりの平均居住面積は、20年前の4.75uから10uにまで拡張された。
ヘリコプターは上海市の発祥地――700年の歴史をもつ南市街区の古い町並みの上空に来た。眼下では再開発によって面目が一新された商店街と緑に覆われた豫園の庭園、赤い壁に黄色い瓦の城隍廟建築とが、上海独特の風景画を構成している。観光名所、娯楽地、マーケットが一体となったこの古い市街区は、上海の伝統、歴史と文化を代表する地区として有名である。
上海市は急速な発展によって浮上した環境問題の解決にも着手してきた。車両の排気ガスの処理、都市の温室化現象の解決、ゴミや汚水の無公害処理、無汚染エネルギーの使用と普及、汚染河川の改造、都市の緑化と完備した都市機能の建設など、都市の持続的発展に関わる膨大な問題の解決にも真摯に取り組んでいる最中である。
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太平橋緑地。最近オープンした人工湖の緑地公園
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南浦大橋
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18の主要道路が構成する発達した交通網
繁栄する浦西とみすぼらしい浦東は、上海の貧富の差を鮮明に見せつける黄浦江独特の風景だった。しかし、ヘリコプターから見る限り、現在の浦西と浦東を隔てるのは黄浦江だけで、如何なる差異も見受けられない。しかも2つの摩天楼の林は、南浦大橋、楊浦大橋、徐浦大橋、盧浦大橋という4つの大橋によって一つに結ばれている。この4つの大橋は、1990年代に建設されたものである。
経済の急速発展が浦東と浦西間の人的交流、物的交流、情報交流、資本流動を促し、南浦、楊浦、徐浦という3つの大橋だけでも毎日の車の交通量は15万台にも達している。車の流れはそのまま経済の流れなのだ。
以前、黄浦江の両岸には唯一の渡河手段であるフェリーを待つ自動車が長蛇の列を作っていたが、今はそれも見られない。上海市は6億元の人民元を投資して黄浦江の地下に黄浦江通行歩道トンネルを建設し、同じく120億元を投資して黄浦江の地下に地下鉄2号線を開通させた。現在、黄浦江を渡るには、フェリー、3本のトンネル、4つの大橋のいずれを利用してもよい。さらに地下鉄や歩道トンネルを通ってもわずか数分で黄浦江を渡ることができる。
総工費23億元の盧浦大橋は、上海市の科学技術の水準を代表する重点プロジェクトである。この両側6車線のつり橋は全長3900m、橋本体の長さは750m、道路の幅は28.7、アーチの形をした巨大な吊りケーブルの梁の長さは550mにも達し、世界一のスパンを誇る。
更に黄浦江に沿って飛ぶと、「申」の字の形をした長さ50kmのハイウェイが見えた。
申は上海の別称である。上海の道は不規則で狭いことで知られており、交通難は上海が抱える命題であった。20年前、上海市の自動車の総数は7万台にも満たなかったが、市内区に入ると時速わずか10数kmでしか走れないほど、渋滞と混雑が深刻であったのだ。現在、上海の自動車の数は以前の7、8倍に増加したが、渋滞は稀である。自動車道路を1300本新しく敷設して、自動車道路の総延長は以前の2倍になった。これに加え全長21.4kmの地下鉄1号線、同じく70kmに近い高速道路、至るところに見られる立体交差で上海の交通難は大いに緩和された。市内区は1980年代の144平方キロメートルから現在の700平方キロメートルまでに拡大されており、毎日の公共交通機関の利用者は1500万人にも達する。公共交通が充実して利用客も分散され、過剰なラッシュも回避されている。
このほか、市内区の西南部から東北へ延々と半円形を描いた高架鉄道が見える。これは中国の都市で最初の高架鉄道である。「十」の字をした地下鉄1、2号線は半円形をした高架鉄道と組み合わさってもう一つの「申」の字を作る東北から西南へ東線に沿ったもう1本の高架鉄道が現在建設中である。
上海の旅行案内地図を見ていると、実際にあるはずの建物や道が探せないことがしばしばある。この手の地図は普通10年間隔で改訂版が出されるが、上海の場合は3ヶ月ごとに新しい地図が出される。にも拘らず、上海の変貌振りに地図が追いつかないのだ。
上海では、まだ工事中の箇所が多くあり、上空からのみその全貌を見ることができる。過去の5年間に上海市がインフラ施設に費やした工事費用は総額で1428億人民元、80年代を通して投入した費用総額の実に7倍である。今回の整備によって数十年もの間、上海市民に不便を強いていた都市機能の弱点が大きく改善された。上海の再開発でもっとも賞賛すべき点は、上海市民は国庫を当てにせず、整備が手薄であった土地にこそ外資を誘致して、開発と再開発を同時に進めてきたことだろう。上海の人々は持ち前の英知と大胆な改革精神を発揮して、この大事業を進めてきたのである。
空から見た上海は、道路は黄浦江に連なり、黄浦江は海へと流れ出る。活気に溢れた上海は、中国の世界への玄関として、アジアの国際都市として、まさに日進月歩で進化を続けているのだ。
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淮海路から延安中路に続くメイン・ロードの夜景
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早朝の外灘(バンド) 写真/許志剛
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