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「神舟」5号の適性訓練を受ける楊利偉さん 写真/秦憲安
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自宅に戻った楊さんは、妻を助けて家事をする優しい夫である。 写真/秦憲安
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「神舟」5号の成功で中国初の宇宙飛行士――楊利偉の名前は、国内だけでなく、世界中に広く伝えられた。
楊利偉さんは1965年生まれ、身長は168cm、体重63s。
宇宙飛行士は身長と体重に対する要求が非常に厳しい。楊利偉さんは、背はやや低いが体つきは精悍だ。「子供の頃から一度も病気に罹ったことがありません」楊さんのお姉さんがその健康振りに太鼓判を押す。1983年、楊さんは高校卒業と同時に飛行学院に入った。この時も中国人民解放軍・空軍パイロット募集の身体検査に難なくパスしている。飛行学院を卒業後は、空軍航空兵部隊戦闘機のパイロットになり、1350時間に及ぶ飛行を経て一級パイロットになった。その後1996年、関係部門が解放軍の空軍部隊に所属するすべての戦闘機パイッロトの中から宇宙飛行士を選抜することになり、数回にわたる厳しいテストの結果、1万人中1人という難関を突破して、楊さんは宇宙飛行士候補生60人のうちの一人になる。
その60人も更に淘汰され、1年後にはわずか12人に絞られた。2名の教官を含め、この14人が正式な中国の宇宙飛行士第1期候補生である。14名に残ったことは名誉なことだが、この後、彼らは「悪魔の訓練」と言われる想像を超えた厳しい特殊訓練を受けることになる。
楊利偉さんは「ナンバー・ワン」になるための忍耐強く頑張りぬく強い意志と、綿密で厳格な生活習慣を身に着けていた。これは楊さんの生来の性格と言ってもよい。
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自信家で、楽観的で、意志が強い。楊利偉さんの優れた心理的資質は、宇宙飛行士に必要な条件の一つである。 写真/王 g
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訓練の初期段階では、有人宇宙飛行に関する基礎理論を学ばなければ成らない。1冊の『有人宇宙飛行工程基礎』の教科書は600ページの厚いもので、飛行動力学、地球物理学、宇宙物理学、気象学、天文学、航宙機軌道理論、ロケット推進理論、有人宇宙船システム構造、飛行船構造、大気圏外誘導航行、宇宙飛行観測制御、通信など有人宇宙飛行に関する各方面の知識をカバーしている。「教材の内容は奥深く、その多くのはジェット機のパイロットをしていた時にも触れたことのないものでした。最初の3年間は夜も12時前に寝たことはありません」と、楊さんは候補生時代を振り返る。最初の試験でもロシアに留学していた2名の教官を除けば、彼の成績は12名の候補生のナンバー・ワンだった。基礎理論という最も困難な段階を終えた時点で、彼の各課目の成績はすべて優秀であった。
学科が終了すると、任務訓練の段階に入る。宇宙空間という特殊な環境への適応能力と各種のプレッシャーに耐える能力を高めるため、訓練センターでは最大限に宇宙船内の環境を再現し、厳しい訓練を行なう。離陸と着陸の段階における宇宙飛行士の最大の試練は高G値の重力である。この場合、体にかかる圧力は体重の4〜5倍になるが、緊急の場合には8〜9倍にもなる。この重力に慣れるためには、遠心分離機のような負荷装置を使った訓練を受けなければならない。「普通の訓練でも、体重の8倍の負荷を経験します。耐え切れないほど気分が悪くなります。後で自分の訓練時の録画を見ましたが、圧力のためで顔も変形していました」と、楊さんは訓練の厳しさを語った。
宇宙空間という複雑な環境の中で観測実験を行う宇宙飛行士は、良好な心理状態を保つことが要求されるため、訓練では心理面も重視される。戦闘機のパイロット時代も、楊さんは良好な心理状態を保つことで、一つまた一つと危機や難関を乗り越えてきた。
新彊ウイグル自治区の空軍部隊で攻撃機を操縦していたときのことである。低空飛行の訓練で楊さんの機はエンジンのタービン部分が突然故障し、エンジン停止に陥った。この時も、楊利偉さんは先ず一連の応急措置を取り、残ったもう一つのエンジンを使って高度を上げ、応急の主脚を下ろすなど冷静に対処し、無事着陸に成功した。