中国は1982年からこれまでにパラリンピックに5回、フェスピックに5回、INAS−FIDグローバル大会に4回、聾唖者世界競技会に2回、それぞれ代表選手を送り出したほか、盲人スポーツ競技会や多種目の世界競馬選手権などにも参加、これまでに2000個余りの金メダルを獲得し、214回世界記録を更新した。1996年にアメリカのアトランタで開かれた第10回パラリンピックに参加した中国選手団は初めて世界の上位10チームに入りが、そのわずか4年後のシドニー・パラリンピックにでは更に順位を上げ、6位入賞を果たした。フェスピックでは金メダルの獲得数でも、メダルの獲得総数でも、第4回から第8回まで連続してトップの地位を維持している。中国選手の優れた成績は、世界の障害者スポーツのレベルを大きく向上させている。例えば、アトランタ大会、シドニー大会で男子重量挙げのチャンピンに輝いた張海東選手は、シドニーで75キロ級の世界記録を207.5キロから240キロに更新した。
2001年7月、国際オリンピック委員会の投票で、北京市は2008年のオリンピックとパラリンピックの開催都市に選らばれ、2002年5月にはさらに上海市がINAS−FIDグローバル大会の主催権を獲得した。中国での障害者スポーツの発展の目覚しさは、世界が注目するところである。
第12回夏季パラリンピックは今年の9月17日から28日までアテネで開かれる。現在のところ、中国選手は11種目で延べ202の参加資格を獲得しているが、この数字はシドニー・パラリンピックに参加した中国選手団の出場回数だけでなく、目標であった150をも上回っている。
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アモイの侯斌選手は第11回パラリンピックの男子走り高跳びで金メダルを獲得した。写真は、帰国早々、アモイ市民の熱狂的な歓迎を受ける侯斌選手。
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努力で障害を克服してきた中国障害者選手たち
スポーツの意義が自己の限界への挑戦にあるとしたら、障害者スポーツはその最たるものと言えるだろう。彼らは障害に負けることなく、自らに誇りを持ち、自分を鍛えている。彼らはスポーツによって磨かれた強い信念と自信を支えに、自力で壁を突き破り、家に引き篭もることをやめ、自己実現に向かって前進しているのだ。
「世界の頂点に立つ者に与えられる桂冠は、イバラで編まれている」。
これは栄誉の陰の努力を表現した言葉だ。この言葉どおり、障害を克服して成功を手にした中国の選手すべてに涙と感動の物語がある。6000万の中国障害者を代表する武雲虎、孫長亭、王冬人、張継紅、鄭培峰、辺建欣……。これらの選手は、祖国のためにメダルと栄誉、尊敬を勝ち取ろうと、強豪が集まる国際競技場で命懸けて戦ったのだ。
立志伝中の人物である孫長亭さんは、南京解放軍に所属するある部隊のサッカー選手であったが、任務中の事故で片足を失ってしまった。サッカー選手にとっては死を宣告されたのも同然であるが、スポーツを心から愛する彼は、足を失ったことを「選手生命の終り」とは考えず、パラリンピックの競技種目のトレーニングに参加し、血の滲むような努力の末に金メダルを手にした。スポーツ選手を引退すると、今度は天津に義足工場を開設し、高性能の義足を生産して成功を収めた。現在、孫長亭さんは利益の一部で貧しい障害者を援助する一方、サッカーチームを結成してサッカー選手育成に努めている。