2004-08

本誌特別記事・その1

 


中国の障害者スポーツ事情

文/王永強
中国で活躍する障害者スポーツ界の選手たち
 中国スポーツ史上初の金メダルを獲得した許海峰選手のことは、中国人なら誰でも知っているが、パラリンピックで初の金メダルに輝いた北京の若い女性、平亜利選手の名前を知る者は少ない。実は、平亜利選手がパラリンピックの走り幅跳びで金メダルを獲得したのは許海峰選手よりも早く、中国スポーツ史に欠くことのできない人物なのである。1994年の第6回フェスピックの開会式で、許海峰選手と平亜利選手が共に聖火台に登ったことは、中国の障害者スポーツにとって歴史的大事件であったと言ってもよい。
 中国には様々な障害を持った障害者が6000万人余りいると言われているが、中国障害者スポーツ協会が設立されたのは1983年のことである。その後、中国知能障害者スポーツ協会、中国聾唖者スポーツ協会が次々と設立され、全国各省、自治区、直轄市にも地域の障害者スポーツ協会が誕生した。中国では4年に一度、全国規模の障害者スポーツ大会が開かれる。今では6回を数えたこの全国大会だけでなく、その予選を兼ねた単一種目の試合やパラリンピックへの代表権を懸けた予選会など、数多くの競技会が開催され、選手たちの国際舞台への道を開こうと、中国障害者スポーツ協会も多くの国際組織に進んで加入している。
2004年6月9日、北京でアテネ・オリンピックの聖火リレーが行われ、148人のランナーが参加した。写真は聖火リレーに参加した北京ネット伝播技術有限公司職員の斎凱利さん。斎凱利さんは1994年のフェスピックの女子車椅子フェンシング・フルーレ部門で金メダルを、エペ部門で銀メダルに獲得している。
中国障害者連合会のケ朴方主席と国際障害者連合のフィル・クレイブン議長
肢体障害者の王暁福選手。2002年、彼は国内外の大会で8つの世界記録を更新し、13個の金メダルを獲得して「最優秀障害者選手賞」に選ばれた。写真は2003年2月28日の中国テレビスポーツ大賞の授賞式で、同じく授賞者の桑蘭さん(女子体操の元ジュニア選手。練習中の事故で全身麻痺の障害を負い、現在はスポーツキャスターとして活躍中)と握手する王暁福選手。     写真/戚 恒

中国は1982年からこれまでにパラリンピックに5回、フェスピックに5回、INAS−FIDグローバル大会に4回、聾唖者世界競技会に2回、それぞれ代表選手を送り出したほか、盲人スポーツ競技会や多種目の世界競馬選手権などにも参加、これまでに2000個余りの金メダルを獲得し、214回世界記録を更新した。1996年にアメリカのアトランタで開かれた第10回パラリンピックに参加した中国選手団は初めて世界の上位10チームに入りが、そのわずか4年後のシドニー・パラリンピックにでは更に順位を上げ、6位入賞を果たした。フェスピックでは金メダルの獲得数でも、メダルの獲得総数でも、第4回から第8回まで連続してトップの地位を維持している。中国選手の優れた成績は、世界の障害者スポーツのレベルを大きく向上させている。例えば、アトランタ大会、シドニー大会で男子重量挙げのチャンピンに輝いた張海東選手は、シドニーで75キロ級の世界記録を207.5キロから240キロに更新した。
 2001年7月、国際オリンピック委員会の投票で、北京市は2008年のオリンピックとパラリンピックの開催都市に選らばれ、2002年5月にはさらに上海市がINAS−FIDグローバル大会の主催権を獲得した。中国での障害者スポーツの発展の目覚しさは、世界が注目するところである。
 第12回夏季パラリンピックは今年の9月17日から28日までアテネで開かれる。現在のところ、中国選手は11種目で延べ202の参加資格を獲得しているが、この数字はシドニー・パラリンピックに参加した中国選手団の出場回数だけでなく、目標であった150をも上回っている。

アモイの侯斌選手は第11回パラリンピックの男子走り高跳びで金メダルを獲得した。写真は、帰国早々、アモイ市民の熱狂的な歓迎を受ける侯斌選手。

 努力で障害を克服してきた中国障害者選手たち
 スポーツの意義が自己の限界への挑戦にあるとしたら、障害者スポーツはその最たるものと言えるだろう。彼らは障害に負けることなく、自らに誇りを持ち、自分を鍛えている。彼らはスポーツによって磨かれた強い信念と自信を支えに、自力で壁を突き破り、家に引き篭もることをやめ、自己実現に向かって前進しているのだ。
「世界の頂点に立つ者に与えられる桂冠は、イバラで編まれている」。
これは栄誉の陰の努力を表現した言葉だ。この言葉どおり、障害を克服して成功を手にした中国の選手すべてに涙と感動の物語がある。6000万の中国障害者を代表する武雲虎、孫長亭、王冬人、張継紅、鄭培峰、辺建欣……。これらの選手は、祖国のためにメダルと栄誉、尊敬を勝ち取ろうと、強豪が集まる国際競技場で命懸けて戦ったのだ。
 立志伝中の人物である孫長亭さんは、南京解放軍に所属するある部隊のサッカー選手であったが、任務中の事故で片足を失ってしまった。サッカー選手にとっては死を宣告されたのも同然であるが、スポーツを心から愛する彼は、足を失ったことを「選手生命の終り」とは考えず、パラリンピックの競技種目のトレーニングに参加し、血の滲むような努力の末に金メダルを手にした。スポーツ選手を引退すると、今度は天津に義足工場を開設し、高性能の義足を生産して成功を収めた。現在、孫長亭さんは利益の一部で貧しい障害者を援助する一方、サッカーチームを結成してサッカー選手育成に努めている。

2003年8月26日午前、中華人民共和国第6回障害者スポーツ大会の聖火採取セレモニーが南京の紫金山の主峰である頭陀峰で行われた。写真は山頂に設置された太陽エネルギー点火装置でリレー用のタイマツに火をつける徐紅艶さん。彼女は全国障害者スポーツ大会で2回にわたって金メダルを獲得している。

王暁福さんは6歳の頃、不注意から高圧電線に触れて右腕を失い、暗い少年時代を過ごさねばならなかった。しかし、12歳ですでに身長が174センチもあった彼は、手足が大きいという天賦の条件も幸いして、雲南省の水泳コーチに紹介される。わずか一週間で泳げるようになった彼は、すぐにクロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4種類の泳法をマスターした。「彼には特別な才能があり、将来性がある」と、コーチも彼を高く評価した。13歳で身長が182センチまで伸びた王暁福さんは、フェスピックに参加した。中国スポーツ選手団で最年少の選手である。
スポーツは王暁福さんの人生をすっかり変えてしまった。
 現在、彼は世界的な水泳選手となっている。とくにここ2年の活躍は目覚しく、「王暁福選手が出場すれば、金メダルは必ず彼のものになる」とさえ言われるようになった。2002年には中国テレビが主催するスポーツ大賞で「年度最優秀障害者選手」に選ばれ、2003年に開かれた中国全国障害者スポーツ大会の開会式では、主催都市の南京市から聖火リレーの最終ランナーに選ばれ、聖火を中国障害者連合会のケ朴方主席に渡すという大役を果たした。地元代表でもない雲南省出身の王暁福選手にとって、最高の栄誉であったことだろう。
 すべての障害者が、彼らのように資質や環境に恵まれているわけではない。多くの障害者は簡易な施設でトレーニングをするしかなく、資金不足で高い運動器材も買えない状態にある。有力選手でさえ、専門の指導者が少なく、障害者用のスポーツ用品も常に不足しているため、外国でトレーニングしなければならない状態だ。しかし、彼らは運命に屈服しない強者である。厳しい条件の下でも、自分の夢のために歯を食いしばって戦っている。

第11回パラリンピックの男子走り高跳びで187センチを跳び、金メダルを獲得した侯斌選手    写真/張 明
2000年10月28日、中国の朱宏艶選手は第11回パラリンピックの女子50m自由型で28秒67のタイムをマークし、金メダルに輝いた。彼女はこの大会で5個の金メダルを獲得している。    写真/張 明
内蒙古出身の女子重量挙げの選手・辺建欣さんは第11回パラリンピックで3回にわたって世界記録を更新し、最後に102.5キロの成績で40キロ級のチャンピンになった。