270年以上の歴史を持つデルゲ印経院はチベットの三大印経院の中でも最高とされ、830部以上の典籍文献が収蔵されている。270年余りの歴史の中で何度も何度も印刷に使われてきた版木は墨を吸い続け、今ではブロンズ色に変色していた。この版木を彫る職人には彫り込んだ箇所と同じ容積の金粉が報酬として与えられていたため、職人たちは一層深く、文字が鮮明になるよう版木を彫ったという。しかし、版木は両面とも字が刻まれているため、ただ深く彫ればよいというわけではなかった。彫りすぎて裏面に穴を開けるわけには行かないからだ。
金沙江東岸の四川省デルゲ県はカンバ文化の中心であり、青海、チベット、四川を含む金沙江流域の核心でもある。地図上でこの地を見つけられても、そこにある深い峡谷、高山から流れ下りる急流、高山に自生する大木、山肌を覆う草原までは想像できないだろう。ましてや、そこに生まれた歴史ある文化までは知れる由もない。岩肌を見せる海抜6000m余りの雀児山を越えて延々と伸びる自動車道をひた走り、デルゲ県に到達したとき、ようやくこの地に匿われてきた宝のような文化を目にすることができるのだ。
デルゲ印経院を建立したのはこの地方を治めたデルゲの42代目ゴーベン(チベット族の地方政権の長)で、6代目法王のチェジ・デンバツリンである。朗々とした読経の声に感動した彼は印経院を建立するという構想をもつようになり、1729年に大蔵経・『カンギョル』を収蔵するデルゲバ宮を建立する。ゴーベンの地位を継いだデンバツリンの息子は、父の事業も受け継ぎ、歴史、科学技術、チベット医学、暦算、言語文字など分野を含む膨大な数の版木を収集し、一方で、『カンギョル』の版木の製作を始めた。歴代のデルゲのゴーベンは印経院を拡張する一方、チベット仏教の五大宗派をすべて取り入れるという政策により、チベット仏教の各宗派の経典が漏れなく集められた。その膨大な蔵書の中には珍本、絶版本も多く、インドでは失われて久しい『印度仏教源流』のような貴重な本もある。現代チベット語、サンスクリット語の本はもちろん、古代チベット語の本までこの印経院で見つけることができる。
ここに収蔵されている版木は、単なる典籍の印刷用具ではなく、それ自体が芸術品である。職人たちは先祖代々この仕事を受け継いだ者で、チベット族自治区のギャンダ県出身者が多い。この地域は当時、大デルゲの管轄下におかれていた。現在でも、デルゲ印経院で版木作りに参加できることは、最高の栄誉とされる。古い版木は今も印刷に使われているが、摩滅が激しく、毎年10部しか印刷できない。破損してしまった版木は、この数年で新たに彫りなおされ、『タンギョル』、『カンギョル』などの世界的な重要文献も失われずに済んでいる。
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四川省西部、海抜6000メートルの山中に築かれたチベット文化の中心地―デルゲ印経院。 写真/新 華
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デルゲ印経院には、27万枚以上の版木と200枚以上の仏画の原画となる石碑が収蔵されている。 写真/新 華
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印刷に使われる紙は、この地方に自生する「瑞香狼毒」という植物を原料にしている。この植物は薬剤としても使用されており、収穫量も少ないため、今日、この植物を使った伝統的なチベット紙もデルゲ印経院の印刷にのみ使用されている。
デルゲ印経院の膨大な蔵書、今日も活用されている木版印刷、独特の建築と壁画、彫像は現在世界文化遺産に申請中である。
時刻は夕方になり、中央の殿堂に入っても、木版の職人たちはすでに仕事を終えて、職場を離れていた。机の上には彫りかけの版木とブラシ、紙、黒と赤のインク壷があり、廊下には刷り上ったばかりで墨もまだ乾いていない経文が干されている。観光客は仏殿の間を行き来し、海抜6000mの高原に建つ文化の殿堂に感嘆の声を上げる。夕日が印経院の赤く高い壁に斜めの影を作り、金メッキの屋根に据えられた水炎が遠くの山々を背景に一際眩しく輝いていた。