2005-05

●タイムトラベル5000年



西域の古代史を解き明かす鍵―小河古墳の「千口棺材」

文/依然 写真/張鴻?
    

 ロプノール地区を流れるクンチー川下流に広がる河谷地帯から南へ60km行けば、ロブ砂漠に出る。この砂漠にある小河古墳は、世界で唯一解明されていない埋葬形式がとられている。楼蘭古城遺跡から西に175q、アラガン鎮(町)から東北36qのこの古墳は、楼蘭探険史、西域探険史で最も神秘的で最も謎に満ちた古跡であると、考古学者はいう。

砂漠に残された小河墓地

2005年3月、昨夜から出土した文物の整理に専念していたイディリス・アブドレソロさんは、文物や計器が散乱する部屋を出、硬直した体を伸ばして深呼吸をした。外はすでに朝になっている。
 新彊ウイグル自治区文物考古研究所のイディリス所長は、砂塵が舞うロブ砂漠から戻り、直ちに小河古墳―「千口棺材(線の棺桶)」から出土した文物の整理と研究に取り組み、そのまま朝を迎えていた。
 イディリス所長を始め考古学チームの一行は、2年前から数回にわたって小河古墳の「千口棺材」で発掘調査を行ってきた。中国国家文物局から許可を受け、2年前の10月に小河古墳に対する全面的な発掘調査プロジェクトが始動した。秋のある朝、中国科学考古学チーム一行の車隊はアラカン鎮を発ち、東北の方向に続くハコヤナギの林を抜け、砂丘が延々と起伏するロブ砂漠を目指した。進路を東北に転換してしばらく進むと、砂丘が次第に低く緩やかになる地帯に出た。そこから遠くを望むと、小高い砂山が見える。砂山の上には枯れたハコヤナギと見られる朽木が直立していた。これが小河五号墓地である。
 考古隊は3ヵ月にわたって野外で発掘を行ったが、春から夏に掛けては砂嵐の季節であるため、やむを得ず発掘を一時中止し、監視スタッフだけを残して遺跡を去ることにした。 そして、2004年9月下旬、イディリス所長は再び考古チームを率いてロブ砂漠の遺跡に向かった。
 この遺跡が発見されたのは1934年、スウェーデンの考古学者ベルグマン博士によってである。博士の著書『新彊考古紀行』には「小山の表面には見たことのない無数の彎曲した木の板が立っている。古墳のどこを歩いても足元には風雨に晒された年代の古い人骨、解体されたミイラや厚い毛織物の破片がある」と書かれている。
 中国科学院の研究員である楊?氏は「空前の規模を見せる小河遺跡は、楼蘭王族の墓地であろう。この遺跡は楼蘭文明を解く上で、他に換えることの出来ない役割を果たしている。その再発見はロブノールの環境変化と楼蘭王国の盛衰と言う世界的に関心が高まっているテーマの未来を開く役割を果たすに違いない」と述べている。

「泥棺」が出土した

出土品を分析するイディリス所長

小河墓地は数層の地層が堆積した墓地とその他の遺物で構成されている。外観はなだらかな砂丘の中で小高い楕円形の砂山のように見え、地表からの高さは7.75m、その面積は2500uである。発掘前、砂山の表面には各種の柱状の朽木が140本直立していた。墓地の中央部と西部にはよく保存された南北を走る木の柵があり、中央の柵を境に、東部区と西部区という二つの区に分けられる。
 調査チームは先ず、西部区の上二層で全面発掘を行い、成人の墓25、子供の墓8の計33の墓を発見した。出土品には着衣がよく保存されたミイラ15体、祭祀遺跡2か所、1000点に近い文物がある。この中には世界的に貴重な文物も少なくない。「一ヵ所の墓地からこれほど多くのミイラが出土したのは、世界でも空前絶後のことです。今後、いったいどれほど出土するのか見当がつきません」と、イディリス所長は感動を表した。調査チームはまた男根や女陰の形をした木像、高く大きい木彫りの人像、小さな木彫りの人面像、花模様が施された木の矢、弓、位牌、麻の束、赤く染められた牛の頭、蛇の形をした木像、青銅片が嵌め込まれた木の鉤、同じ数の紋が刻んである木器などを見つけた。「これらの出土品は、神秘的な原始宗教の雰囲気に溢れています」とイディリス所長は述べ、「小河墓地の豊富な文化内包は国内外の考古界でも稀に見るものです。この遺跡に対する発掘と研究は、新彊先史時代の重大なテーマとなるだけでなく、新彊周辺の広大な地域の先史時代を解明する上でも、大きな衝撃と深遠な影響を及ぼすでしょう」と強調する。
 小河五号墓地に対する発掘が終了し、調査は出土した文物の室内での整理と研究の階段に入った。「千口棺材」と呼ばれるこの墓地は、実際330の墓を有する古墳群である。イディリス所長によれば、彼らは167の墓に番号をつけ、その内の163の墓を発掘し、子供のものを含む30数個の棺と一部のミイラを研究所に持ち帰った。
「墓の多くは埋葬時の状態がそのまま残っているので、当時の社会と人々の各方面の生活情況を知る上で非常に有利です」、「我々は子供のものを含む30数個の棺と一部のミイラを研究所に持ち帰りました。このほか、5ヵ所の墓葬層に対し、それぞれサンプルを取り、年代の測定をしました。また柱や棺の板にある年輪の測定をしています」と、イディリス所長は研究の進行状況を説明する。
 砂地に横たわり永遠の眠りに就く死者の上には、あたかも岸に伏せた木舟のように木棺が覆い被されていた。小河墓地の独特の埋葬形式に、考古学者は高い関心を寄せている。木棺の中には、生前死者が愛用したと思われる衣類、帽子、アクセサリーのほか、共通の副葬品として草編みの小さな籠が入れられ、死者の体は大量のマウオ科の草で覆われていた。現在、考古学者はこの独特な埋葬形式の意味を解明しようと研究を続けている。

墓地に立てられたハコヤナギの柱は人間の背よりも高い

牛の皮で包まれた棺桶

「剥された牛の皮に包まれていたせいか、棺は埋葬した当時の状態を保ち、棺の中には砂が一粒も入っていませんでした。墓主は舟のような棺の中で安らかに眠っています。原始的だが、安全な設計で、千年前の埋葬の様子を推測することが可能です」
イディリス所長は、「現状のまま保存された古墳から、当時の埋葬過程を推測すると、先ず砂地に穴を掘り、しっかりと包まれた遺体を穴の中に入れます。それから死体を中心に板を繋ぎ合わせて棺を作り、牛の皮で棺桶を包んで密封して、棺の前と後に丸木や木の柱を立てます。それから墓穴に砂を入れて塚を高く盛り、棺の前に立てた丸木の上部だけを地表に出して墓標としたようです」と、埋葬法を解説してくれた。小河五号墓地の砂丘は自然にできたものではなく、墓葬層が重なってできたものである。下には更に何層あるのか?このような棺がどのぐらいあるのか?この疑問を解くには、まだ時間がかかるだろう。
 イディリス所長によれば、小河墓の発掘では青銅器も出土しているが、当時この地域の生活器具は、主に草、木、皮、毛などを素材としており、青銅器は当時の日常生活で広く使われていた器物ではなかった。青銅器はある象徴的意義を持つ装飾品として木製器物の上に象嵌されたと見られる。また、植物の茎や根の繊維で編まれた丈夫で小さな籠は様々な形をしているが、どの籠にもツルがある。これは体から離れないように手に持たせるためのものであろう。当時の人々は草の異なる光沢と生地を巧みに利用し、明暗が交互に並ぶ三角模様、階段模様の籠を編んだ。不思議なことに、最も腐りやすいこれらの草が、数千年の歳月を経ても依然として作られたばかりのような状態を保っている。小さな籠の中には一般に麦、粟などが入れられていた。これらの籠の製作技術はかなり高く、とくにその形状と比例の把握には眼を見張るものがある。

身分の高い老婦人の墓。死体はよく保存され、痩せた面持ちが分かる。

製作技術の精巧さは、丸木や柱に彫られていた花模様にも言えることである。1934年に小河墓地を実地調査した第一人者のスウェーデン考古学者のベルグマン博士はその著書に、「死者の体は厚い毛織物のマントに包まれ、草で編んだ小さな籠がマントの右側に置かれていた」と記している。マントは、当時の人々の一般的な衣類であったのだろうとイディリス所長は見る。出土したミイラは、縫製加工しない長方形(縦1.6m×横1.2m)の長くゆったりした布をサリーのように体に巻いていた。マントは平織りで、縦糸と横糸には白色、灰色、茶色など原色の羊毛を使い、マントの裾には縦糸を結んだ穂のような飾りが連なっている。
 最近の発掘では4個の「泥棺」―泥で外殻を覆われた木棺も出土した。これは重大な発見である。「泥棺」はいずれも墓地の底部で発見され、どの棺も周囲には6本あるいは8本の高い柱が円を作るように立てられていた。長方形の棺の蓋は厚い泥で包まれ、蓋の下には木の板を繋ぎ合わせて作った墓室がある。その中には草編みの小さな籠、木器などの副葬品が入れられており、墓室の下に舟の形をした棺桶が置かれていた。墓主はいずれも女性である。女性のミイラは、やはり毛織物のマントで覆われ、金の耳輪、毛糸縄のネックレスなどの装飾品や木祖(木製の男性生殖器)などの副葬品が置かれていた。
 小河墓地では、新彊では今のところ最年少となる嬰児の墓も発掘されている。「生まれて間もなく死んだ赤ん坊は、舟の形をした木棺に葬られていました。木棺の長さはわずか55cmです。ミイラは黄色い毛織物のマントに包まれ、顔だけが外に出ていました」とイディリス所長は新疆最小のミイラについて教えてくれた。このほか、調査チームは盗掘で散らばった2枚の棺の側板を舟形の棺桶に復元し、その過不足の状況から見て、付近にはまだ棺が1つ埋まっていると推測している。「もし棺が完全な形で残っていれば、この棺の長さは245pになります。新彊の考古学史上、最大の棺桶です」とイディリス所長はその発掘に意欲を見せ、「われわれは、この最大の棺の発見を正式に報告できる日が早く来るように全力を尽くしています。小河墓地の埋葬形式は世界唯一のもので、新彊の先史時代に関連し、しかも新彊周辺の広大な地域の考古学的研究に深遠な影響を及ぼすものとなるでしょう」と強調した。