ロプノール地区を流れるクンチー川下流に広がる河谷地帯から南へ60km行けば、ロブ砂漠に出る。この砂漠にある小河古墳は、世界で唯一解明されていない埋葬形式がとられている。楼蘭古城遺跡から西に175q、アラガン鎮(町)から東北36qのこの古墳は、楼蘭探険史、西域探険史で最も神秘的で最も謎に満ちた古跡であると、考古学者はいう。
2005年3月、昨夜から出土した文物の整理に専念していたイディリス・アブドレソロさんは、文物や計器が散乱する部屋を出、硬直した体を伸ばして深呼吸をした。外はすでに朝になっている。
新彊ウイグル自治区文物考古研究所のイディリス所長は、砂塵が舞うロブ砂漠から戻り、直ちに小河古墳―「千口棺材(線の棺桶)」から出土した文物の整理と研究に取り組み、そのまま朝を迎えていた。
イディリス所長を始め考古学チームの一行は、2年前から数回にわたって小河古墳の「千口棺材」で発掘調査を行ってきた。中国国家文物局から許可を受け、2年前の10月に小河古墳に対する全面的な発掘調査プロジェクトが始動した。秋のある朝、中国科学考古学チーム一行の車隊はアラカン鎮を発ち、東北の方向に続くハコヤナギの林を抜け、砂丘が延々と起伏するロブ砂漠を目指した。進路を東北に転換してしばらく進むと、砂丘が次第に低く緩やかになる地帯に出た。そこから遠くを望むと、小高い砂山が見える。砂山の上には枯れたハコヤナギと見られる朽木が直立していた。これが小河五号墓地である。
考古隊は3ヵ月にわたって野外で発掘を行ったが、春から夏に掛けては砂嵐の季節であるため、やむを得ず発掘を一時中止し、監視スタッフだけを残して遺跡を去ることにした。
そして、2004年9月下旬、イディリス所長は再び考古チームを率いてロブ砂漠の遺跡に向かった。
この遺跡が発見されたのは1934年、スウェーデンの考古学者ベルグマン博士によってである。博士の著書『新彊考古紀行』には「小山の表面には見たことのない無数の彎曲した木の板が立っている。古墳のどこを歩いても足元には風雨に晒された年代の古い人骨、解体されたミイラや厚い毛織物の破片がある」と書かれている。
中国科学院の研究員である楊?氏は「空前の規模を見せる小河遺跡は、楼蘭王族の墓地であろう。この遺跡は楼蘭文明を解く上で、他に換えることの出来ない役割を果たしている。その再発見はロブノールの環境変化と楼蘭王国の盛衰と言う世界的に関心が高まっているテーマの未来を開く役割を果たすに違いない」と述べている。